小菅武夫
人間愛・教育愛に殉じた教育者
小菅武夫
(こすげ たけお)
1907ー1929
小菅は、明治40年(1709)に上田市木町に生まれました。大正9年、
大正14年、小諸商業学校を成績優秀・精勤で卒業し、校長が東京第一銀行に推薦をしてくれ、本店の書記補として就職しました。大正15年には第一銀行室町支店の書記となり、月俸も上がり、妹が上田高等女学校(現上田染谷丘高等学校)に合格し、学資金として毎月5円を5年間送るという誓約書を送ったといいます。昭和3年1月に病気になり銀行を退いて上田に帰り療養に努めました。その後、昭和4年に上田尋常高等小学校の代用教員として再出発をし、商業科を担当して日々反省をしながら熱心に指導に取組みました。
小菅は小さい時からキリスト教に興味を持ち、その影響を受け、様々な体験や勉強を通して「人間とは何か」「人生いかに行くべきか」を真剣に考え続けました。そして、最後に到達したのが「絶対的愛」の自覚でした。それは有名な「本願」としてまとめられ、昭和4年に上田青年誌に寄稿しています。
4月24日、
昭和5年11月、遭難現場に「殉職記念碑」が建てられ、正面に「本願」の第一節が刻まれており、小菅訓導の精神は今も生き続けています。