中村直人

脱俗の芸術家-彫刻家で画家

中村直人
中村直人
(なかむら なおんど)
1905ー1981

 大正期中ごろ山本鼎が提唱した「農民美術」と「児童自由画教育」の二つの運動の、発祥の地、神川で少年期を過ごした直人は、リアルタイムに農民美術、児童自由画教育の誕生を直視し、その渦中で小学校時代を過ごしました。
 15歳の時、山本鼎の世話で上京し、木彫家吉田白嶺の木心社に入門。兄弟子松村外次郎より木彫の手ほどきを受け、小杉法庵にデッサンを習い、自己の彫刻表現の模索が始まりました。大正14年、直人21歳で院展初入選、以後連続入選し大正15年に日本美術院賞を受賞。昭和10年には院展同人(会員)に推挙され日本の彫刻界の新風として頭角を現し始めました。
 終戦後は、新日本美術会創設に参加し、各種展覧会に出品しました。その後、以前から親交を深めていた画家で彫刻家の藤田嗣治がフランスに渡り、その藤田からの強い勧めや若い頃からの渡仏留学の夢の実現のため、47歳まで日本で築き上げた彫刻家としての地位も安定した生活も、なにより上質な木彫作品で日本一流として注目を集めていた直人がすべてを捨てて渡仏しました。
 パリに渡った直人は、昭和28年パリ展で大成功し、その後何度か個展を開き話題となり、滞欧12年の間に彫刻家から国際的な画家に見事な変身を遂げました。
 昭和39年日本へ帰国。同年滞欧作展でパリ生活12年の成果を証明しました。その後二科会に招かれ、昭和55年には内閣総理大臣賞を受賞しました。帰国後は、様々な分野の芸術に挑戦し、完全に日本の画壇に画家として復帰しました。
 西洋東洋の枠を越えたスケールの大きな作品をたくさん残して、昭和56年、76歳の生涯を終えました。

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