村上和夫

社会福祉事業者・歴史研究家

村上和夫
村上和夫
(むらかみ かずお)
1917-1996

 村上和夫は、大正6年上田に生まれ、昭和10年、上田中学校(現上田高校)を卒業し、長野県派遣生として中国上海の東亜同文書院に入学します。中国文化に対する造詣はこの時から生まれました。同校を卒業後、三井物産㈱二入社。上海勤務となり、中国語を駆使して優秀な才能を生かして活躍しました。
 昭和15年、松本歩兵台50連帯へ入営、北支(中国華北部)派遣となります。昭和16年、甲種幹部候補生となり、河北省保定幹部候補生隊へ所属し、優等生で同隊を卒業。昭和19年から終戦に至るまで支那派遣軍総司令部付副官に任命され、終戦後は戦後処理に奮闘し、自身は最後の引揚船で帰国しました。
 昭和42年4月、地域の人に推され市議会議員に立候補し、以後5期20年間にわたって議員を勤め、市政に貢献しました。
 また、長年にわたり上田市社会福祉協議会会長を努め、障害児、障害者及び親たちの苦悩を救うための施設づくりに奔走し、やがて老人福祉に力を注ぎました。上田しいのみ園(身体障害者授産施設)、富竹の里(特別養護老人ホーム・長野市)、しいのみ療護園(身体障害者療護施設)、室賀の里(特別養護老人ホーム)を設立し、これらの施設の設立運営に加え、昭和55年には重度障害児母子通園訓練施設を市から委託され運営に当たりました。平成8年、全国肢体不自由児者の父母の会から多年の功績により表彰されました。村上の卓越した人格と才能は、社会福祉事業に遺憾なく発揮されました。
 昭和53年から55年にかけて上田小県地方の神社現況調査を行い、「郷土史の研究は先ず氏神の調査から」という先輩らの助言もあって、村上は先ず。各村落の氏神の全景から鳥居、拝殿、本殿、摂社に至るまで、3ヵ年にわたって調査した氏神は、上田小県地方だけでも237社に及び、その写真数約4500枚を15冊のアルバムに分けて上田市立博物館に寄贈しました。
 さらに村上は、昭和56年から上田市のに結成された「全国国分寺研究会」に入会し、団体として全国の国分寺を研究するという、地方としては未踏の仕事に携わりました。その端緒は昭和55年、「信濃国分寺資料館」が上田市に完成したことにありました。この国分寺調査は全国国分寺の約半数(34)の寺に及び、その学問的功績は少なくありません。村上はこれを機縁として古瓦の研究に没頭し、内地はもちろん時には中国に滞在して研究することもあり、村上の研究の特徴は、中国古代瓦の文様の発生に対する研究とその日本に関する精細な考証にありました。その成果として中国古代瓦の複製品349点を信濃国分寺資料館に寄贈され、全国でも貴重な資料として評価されています。

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