丸子地区の養蚕業
生糸のできるまで
繭を処理して繭糸(まゆいと)を引き出し、それを数本合わせ、さらに巻きとって整理をする一連の作業を「製糸(せいし)」といい、こうして作られた糸を「生糸(きいと)」と言います。
この製糸は江戸時代末ごろまで、農家の副業として養蚕と一体で行われていました。しかし、製糸業の確立とともに独立し、さらに洋式器械製糸の導入・発達にともない、工程も分離していきます。丸子の器械製糸の全盛期、大正時代の製糸工程は、大体次のようでした。
- 繭の乾燥
蚕は、繭を作り終わった後、17~19日たつと発蛾(はつが)します。こうなると生糸が繰(く)れなくなるので、繭を乾燥させ中の蛹(さなぎ)を殺しました。繭の貯蔵と殺蛹(さつよう)を合わせ行う丸子倉庫もありましたが、大多数の工場では自工場内に乾燥室をもち、そこで処理をしました。 - 繰糸(そうし)
次に乾燥した繭を煮ます。これは、当初煮ながら糸を繰(く)ったのが一括して煮るようになりました。煮た繭は、熱湯を満たした繰糸鍋(そうしなべ)に浮かべられ、女子工員によって糸が繰られました。糸口をみつけるのには、実子箒(みごぼうき)が用いられました。また、繭糸一本では細すぎるため、何本かの糸をより合わせて目的の太さの糸にして繰りました。このよりかけ装置には、イタリアのケンネル式が使われました。 - 再繰(さいそう)(揚返(あげかえ)し)
小枠(こわく)に巻きとられた糸はまだぬれており、放置すると糸に付着したセシリンのため、くっついてしまいます。そこで、繰糸した糸を大枠(おおわく)に巻きかえる作業が行われました。この揚返しは、依田社加盟工場のものはまとめて依田社で行いました。 - 荷造り・出荷
大枠に移しかえられた糸を綛(かせ)といい、70gが標準でした。この綛を30本の束(括(かつ))にし、さらに20括の俵詰め(約60kg)にして、輸出しました。 - 検査
品質は特に重視され、糸量・繊度(せんど)・色沢(しきたく)等さまざまな検査が行われました。