天正2年(1574)閏11月11日 蓮華童子院宛真田信綱安堵状
 幸隆の死により真田家の当主となった信綱が四阿山あずまやさん別当職を安堵(保障確認)したもの。信綱の出した文書で残っている唯一のものである。
 なお、真田町真田の山家神社は中世は「白山権現」といわれ、真田の北、菅平にそびえる四阿山頂に奥宮があった。奥宮を管理した別当寺(神宮寺)が蓮華童子院であった。

真田町真田 山家神社蔵
四阿別当の事、前々蓮花院に出し置く如く、向後異儀有るまじく候。様体に於ては、大熊伯耆守申すべき者也。仍て件の如し。
天正弐天甲戌 真田源太左衛門尉
閏拾一月十一日 信綱(花押)
当蓮花童子院