龍洞山宝蔵寺(りゅうどうざんほうぞうじ)、通称「岩谷堂」上部の岩壁に風雨などの侵蝕(しんしょく)によってできた洞窟(どうくつ)があります。昭和5年4月、そこから人骨のほか、鉄剣や鉄鏃(てつぞく)・銅鏡などの金属製品、石製の紡錐車(ぼうすいしゃ)(糸をつむぐのに使う小型の車)や刀子(とうす)(小さな刀)、はそうや杯(つき)などをはじめとする土器類など、古墳から出土するのと同様の遺物が発見され、「岩窟古墳」と呼ばれてきました。
しかし、この洞窟は鳥羽山(とばやま)洞窟と同じく、遺体を埋めないで置いておく(曝葬(ばくそう))がおこなわれた場所と考えられ、出土遺物から6〜7世紀、古墳時代後期に利用されたものと思われます。鳥羽山洞窟を使用した人々が古墳時代後期になってからまたこの洞窟に曝葬したものでしょう。