中原集落の東のはずれ、南町上の広山寺裏に所在することから、寺裏古墳、広山寺裏塚古墳とよばれることもある。西に緩やかに傾斜する扇状地の斜面上に立地し、周囲は雑木の林で、南側の広山寺境内には竹藪塚古墳がある。
広山寺古墳は町内では唯一、ほぼ完全に残されている古墳で、現状で南北径約18m、東西径約20m、高さ4.5mをはかる。内部には両袖型の横穴式石室があり、南南西に向き開口している。土地の古老の話によると、もとは墳丘の中腹部に穴が開いており、そこから内部に出入りでき、羨道部はふさがっていたが、芋の室として使うために羨道部を掘り出し、羨門部分の石を積みなおして入口を狭めたという。しかし、羨道の大部分や玄室は築造当初のままと思われる。
相当昔に盗掘などにより開口していたらしく、副葬品などの遺物はまったく出土せず、また、関連する伝承も残されていない。