本郭とふもとの八幡社との比高はおよそ125m、本郭は東西9m、南北39m、西縁と北縁に土塁が設けられたと思われる土居跡が認められる。本郭の腰部に設けられている段郭は、南側の部分に四段数えられ、本郭背後の堀切は深さ13m幅30mある。
城のふもとは松代道と洗馬道が交わる場所で、戦国期には、根小屋城とともに地蔵峠側を押さえる重要な城であったと考えられる。
なお、「諏訪御符礼之古書〔すわおふれのこしょ〕」(「信濃史料」第9巻3頁)のうち応仁2年(1468)4月の条に記されている「千葉〔せんば〕城」は、この洗馬城であろうと考えられている。