信綱は、幸隆の長子として生まれ、天正2年(1574)父病没の後家督を継いだが、翌天正3年(1575)、武田勝頼に従い織田信長と長篠で戦い、5月21日信長方の鉄砲の一斉射撃を受け、39歳にして弟昌輝と共に戦死した。真田の当主たることわずか1年であった。
信綱の首級は、家臣白川勘解由兄弟の手により陣羽織に包まれ鎧とともに信綱寺の墓前の桜の下に葬られた。その後享保2年(1717)の寺の移築にともない、墓所が裏山の現在の場所に移され、夫人と共に厚く弔われている。
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