出早雄〔いずはやお〕神社は古くから、水を配る出配〔いずへ〕神社と呼ばれてきた。
明治2年、出早雄神社に改められ、明治43年には当時の下原の皇太神社、番匠の十二神社が合祀されて現在に至っている。
社叢はケヤキを主体としたもので、拝殿の前両側に5本の巨木がある。目通り周囲約8mの巨木は落雷による被害を受け、幹が空洞化し、倒木の危険があるため、地上約12mを残して伐られている。そのほかは目通り周囲約7.3m、樹高約40m、推定樹齢約800年の巨木などである。
町内の神社にはケヤキの巨木が多く、石舟神社の大ケヤキ、表木神社の大ケヤキ、誉田足玉神社の御神木、上洗馬神社社叢のケヤキ等は、長野県または真田町の天然記念物として指定されていたが、残念なことに枯れたり、台風(昭和34年8月14日)で損傷し、伐採されてしまった。