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りんどう橋

種別 :国登録有形文化財 建造物
指定日:令和6年3月9日
所在地:御岳堂4-1地先
年代 :明治中期/昭和3年・平成19年移築

解説

構造:鋼製単桁橋
橋長:33m
幅員:4.4m

丸子地域を流れる内村川に「りんどう橋」と呼ばれる橋が架かっています。鋼鉄製の人道橋でボウストリングトラス(Bowstring truss)と呼ばれる弦を張った弓のような形をした珍しい橋です。

このボウストリングトラスは、明治初期に九州鉄道建設のために輸入されたドイツのハーコート社製のトラス橋(部材を三角形に組み合わせて強度を保つ橋)で、ピンやボルトで結合することで建設可能ないわゆるプレハブ式の橋梁(ピントラス)です。鉄道黎明期、現場で高度な知識や専門技術がなくとも組み立てることができる鉄道橋として取り入れられました。

では、なぜ九州鉄道の橋がこの地に来たのでしょうか。それは1928(昭和3)年、丸子鉄道の千曲川橋梁が水害によって一部流失したため、役目を終えて保管されていた九州鉄道のトラス2連が転用されたことがきっかけでした。当時、製糸業によって栄えた丸子町と上田町。その間を流れる千曲川(信濃川)を渡る鉄道橋として利用されていましたが、その後、次第に製糸業が衰退していくなかで鉄道の需要も減り、1969(昭和44)年には丸子線が廃線。この橋梁は道路橋に転用されることが決まり「大石橋(おおいしばし)」と名付けられました。幅員が狭く一方通行でしたが、従来から上田と丸子をつないでいた大屋橋の近くにあったため、通勤等で多くの車が利用する橋として渋滞緩和にもつながり、地域から親しまれる橋となりました。しかし、この大石橋も2001(平成13)年の台風によって一部が落橋してしまい、狭い幅員など時代にそぐわなくなってしまったことも相まって全面的に架け替えとなったため、このトラス部材は撤去されることとなりました。

しかし、地域の歴史であるこの橋を何らかの形で後世に伝え残そうという声が上がり、大石橋撤去時に1連を橋梁メーカーが保管することになります。その後、生活環境や防災の観点から内村川への橋梁計画が上がったことにより保管されていたトラス橋の復興・活用の機運が高まり、2007(平成19)年に丸子地域に関係の深い“竜胆(りんどう)”から「りんどう橋」と名付けて、現在の場所に架かることとなりました。

橋は竜胆色に塗り直され、また、保管されていた橋梁と新たに加えられた部分が調和するようにデザインされており、これまでの歴史を伝えつつ、地域の新たなランドマークとして親しまれています。

※りんどう橋の部材には、一部に国営八幡製鉄所の刻印が押されたものがあります。これは、1928(昭和3)年の千曲川橋梁橋再建時に部材を補うために使用されたものと考えられ、歴史の変遷をうかがい知る大変興味深いものです。