独鈷山〔とっこざん〕の北の山麓に位置し、その古さを物語る大きく深い森につつまれた神社が前山の塩野神社です。
神社の前には太鼓橋がかかっていますが、その下には独鈷山の清らかな湧き水が滝となって流れ、それがやがて本流の産川と合流して塩田平を潤〔うるお〕しています。
塩野神社はかつては独鈷山の山頂辺くの鷲岩という巨岩に祀〔まつ〕ってありました。後に人里近いこの場所に遙拝所〔ようはいじょ〕としての御門屋〔みかどや〕が建てられ、その後本殿もこの地に移されたといわれています。
塩野神社は水の神様であるといわれています。
なお、この社殿の南側に大きな岩が立ち並び、その上に石の祠〔ほこら〕があります(写真参照)。これを「盤座〔いわくら〕」といいます。盤座というのは、神がお下〔くだ〕りになる岩場のことで、神様の御座所です。その原形は有名な大和(奈良県)の三輪山〔みわやま〕などに求められますが、このことは塩野神社の信仰の起原を知る上に大変貴重です。
今から1100年前の貞観十五年(873)四月五日「信濃国塩野の神」に正六位上という位〔くらい〕がおくられた記事が『日本三代実録』という書物にのせられています。それから50年程後に出来た『延喜式」という書物に「式内社」としてのっています。
社殿は江戸時代の建築物です。拝殿は寛保三年(1743)、本殿は寛延三年(1750)のものと考えられています。
拝殿は写真のように、間口、奥行共に同じ長さで、楼門造りといって二階建てになっています。屋根は切妻〔きりづま〕で銅板葺です。軒の組物などに朱色の色付けがされています。なお二階建ての拝殿は県内では珍らしく、建築の形式上貴重な建物です。また拝殿の正面に「勅使殿〔ちょくしでん〕」の額が掲げてあります。これは本来の御門屋〔みかどや〕のことを御帝屋〔みかどや〕と呼びますので、後に勅使殿と書いたものでしょう。
本殿は「一間社流〔いっけんしゃなが〕れ造〔づく〕り」といいます。間口、奥行の長さはほぼ同じで向拝〔ごはい〕といって本殿の正面の階段の上に張り出した庇〔ひさし〕がついています。屋根は銅板葺です。軒の垂木〔たるき〕だけが朱色に着色されています。
本殿は特に彫刻の美しさが目を引きます。小脇の壁にある、上り竜、下り竜の透〔すか〕し彫り、向拝住や虹梁〔こうりょう〕に刻まれた象、また建物の正面、側面の梁や虹梁にある雲形などすべて彩色がほどこされた彫刻です。
大工棟梁は末野忠兵衛とありますが、この一族は上田房山に住み、代々工人として主に社寺建築に精通し、当地方に残した多くの業績は高く評価されています。なおこの両社殿は、18世紀中頃の様式をよく備えた建物として、当地方に残る代表的建築物です。
またこの神社には建物の歴史と言える棟札が、文明年間より今日まで30枚そろっていることや「甲子〔きのえね〕大祭」といって60年毎の神事が継続され、盛大に行われているのもめずらしいことです。