荒神宮は諏訪形の千曲川のそばに建立されています。荒神という神様は一般に、家内安全・火の神・かまどの神とされていますが、木曽義仲の守り神ともいわれています。義仲が依田城(丸子町)に兵をあげ、平家を滅〔ほろぼ〕す戦いに出るとき、家来の今井兼平〔かねひら〕の子を、この荒神宮につかわして勝利を祈らせたり、巴御前〔ともえごぜん〕が義仲の幼君を守って、ここにかくれ住んだとも伝えられています。
覆屋〔おおいや〕で囲まれた本殿は、すべてケヤキ材が用いられています。特に彫刻は大胆〔だいたん〕にして華麗〔かれい〕、柱の上は竜・獅子・象などでうめつくされ、軒先には大きな鳳凰〔ほうおう〕が飾られ、東西の脇障子〔わきしょうじ〕・壁面には中国の物語が美しく表わされています。
この本殿を造った大工棟梁は、江戸末期を中心に活躍した上田市国分〔こくぶ〕出身の竹内八十吉〔やそきち〕です。建築を請負〔うけお〕った八十吉の請負証書や棟札〔むねふだ〕の墨書〔ぼくしょ〕から、安政四年(1857)に請け負って文久三年(1863)に棟上げがされました。八十吉は上田市内にも数々の名作を残していますが、荒神宮や太郎山神社の彫刻は、最もすばらしい出来ばえといわれています。