旧宣教師館は、明治三十七年(1904)カナダ・メソジスト派新参町教会の婦人宣教師の住宅として、上田城跡に近い丸堀〔まるぼり〕に建てられました。宣教師たちは、新参町教会での布教とともに幼稚園教育を実践し、その幼稚園教諭の養成も手がけました。幼稚園教育は梅花〔ばいか〕幼稚園で行われ、幼稚園教諭の養成は、この宣教師館を使って行われました。明治38年に、宣教師館に保母教育に専念する上田保姆〔ほぼ〕伝習所が正式に設置され、大正8年に伝習所が東洋英和女学校(現在の東洋英和女学院)に移されるまで、上田の宣教師館が保母教育の拠点となっていました。
昭和15年(1940)、戦況の悪化により宣教師たちが帰国することになり、この宣教師館を三吉敬蔵が購入して住宅兼病院としました。平成五年に三吉氏から上田市が譲り受け、現在地に移築復元しました。
建物の特徴は、まず、全体が立方体に近い箱形のプロポーションを持っていることです。これは当時の宣教師館に共通した外観意匠です。次に、外壁が下見板張りにペンキを塗って仕上げている点です。また、窓に鎧戸〔よろいど〕をつけ、玄関とその二階部分がベランダとなっている点も特徴です。これらの特徴は、アメリカの伝統的な木造建築の造りです。
開拓期のアメリカでは、イギリス系の開拓者によって下見板張りの独自の西洋館が成立しましたが、これらのうち、独立前の植民地時代の簡単な造りのものを「アーリー・アメリカン様式」あるいは「アメリカン・コロニアル様式」といいます。その様式がこの建物に用いられており、明治期の本格的西洋館として貴重な建物といえます。