この建物は、大正2年(1913)に、上田男子小学校同窓会が一般市民の寄付を集め、同4年に明治記念館として建設したものです(『上田小県誌』)。この明治記念館は、当初から図書館として作られたもので、大正12年に市に寄付され、上田市立図書館として昭和45年(1970)まで使われていました。その後、市役所分室となり、60年7月からは石井鶴三美術館となっています。
建物の外観は、明治期の建築にはみられない新しい表現を取っており、長野県を代表する大正期の近代建築といえるでしょう。特徴は、壁面も屋根も凹凸が少なく、きわめてあっさりと仕上げている点にあります。軒の出を小さくして、軒がないように納め、そこから上に続く屋根をマンサード屋根として壁面と屋根があたかも一続きのようにみせています。
壁面は基本的には下見板〔したみいた〕張りとなっていますが、上下の窓の間にはパネル状の装飾が取り付けられています。このパネル状の装飾は、19世紀末から20世紀初頭に隆盛したアール・ヌーヴォー様式の流れを汲〔く〕んだ意匠となっています。
流れるような自由曲線を特徴とするアール・ヌーヴォーの影響をとどめる建築は県内では少なく、旧上田市立図書館はその代表的な建築といえるでしょう。また、壁面を上下の水平部分と壁・窓の垂直部分という単純な構成に分け、それぞれの境界線を枠で仕切っていますが、このように面を線によって分割する意匠や、滑らかな壁面処理もアール・ヌーヴォーの影響といっていいでしょう。アール・ヌーヴォー様式も国によってさまざまな表現がありますが、旧上田市立図書館の場合はマンサード屋根の曲線や長楕円形の装飾などからドイツ系のアール・ヌーヴォーの影響を受けた建築と考えられています。