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常楽寺石造多宝塔

種別 :国重文 石造物
指定日:昭和36.3.23
所在地:別所温泉2347
年代 :弘長2年

解説

常楽寺本堂左側の道を上ると、昼でも暗いような静かな杉木立〔こだち〕の奥に、多宝塔と呼ばれる堂々とした石造の塔が一基建っています。ここを北向観音の出現地といい、おごそかなたたずまいを感じる境内です。このりっぱな多宝塔の由来は次のように伝えられています。

「平安時代の初めのころ、別所の東北にある山の麓あたりの地の底が突然ゆれ動いて、大きな火の口があき、そこから紫色の煙がたちのぼり、南方へたなびいて今の北内観音堂の桂〔かつら〕の木に止まった。その先には金色をした千手観音のお姿が見えたので、天長三年(826)北向の観音堂を建てて仏様を安置した。そこで、このありがたい仏様が地中から現れた火口跡に、木造の多宝塔を建立し、常楽寺境内の最も神聖な場所とした。 

ところが、鎌倉時代にこの多宝塔が火災で焼けてしまったので、弘長二年(1262)賴真〔らいしん〕という和尚さんが、今度は石で多宝塔をつくり、お経を奉納した。」ということが、石造塔の四面に刻まれています。それからこの塔は、今日まで約730年もの長い間、風雪に耐えてきたのです。

多宝塔の形は土台石の上に横長の直方体の石をのせ、幅の広いひさしをさしかけます。その上部は円筒形の身舎を造り出しその上に笠をのせ、一番上に細長い相輪を立てます。常楽寺多宝塔もこれと同じ形で総高274.0cm、塔身は厚味のある四角形の石でがっちりと上部を支えています。笠の背は低く降〔くだ〕り棟〔むね〕の反〔そ〕りもわずか、軒先の切口は厚く四角〔よすみ〕で少しはねあげ、軒端を垂直に切っています。こうした重厚で堂々とした風格や造り方からみて、鎌倉期多宝塔の代表といえましょう。

石造多宝塔のすぐれたものは全国的にも少なく、わが国で重要文化財に指定されているものは、この常楽寺塔と滋賀県の「少菩提寺塔〔しょうぼだいじとう〕」の二つだけです。中でも少菩提寺塔は多宝塔本来の形とやや異なるので、常楽寺塔は最も大切な遺品と考えられています。

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