別所街道に沿い舞田に入って右手の小高い山に向かい、農道を約400m進んだ山裾にある舞田公園の中心に、重厚で古風な五輪塔が一基建っています。
塩田平には多くの石造文化財がありますが、その中でもこの塔はひときわ目立つ雄大な姿です。総高212cm鎌倉時代の優品として県内でも、最も古い様式で最大の五輪塔といえるでしょう。
五輪塔は、はじめ大日如来を尊ぶことから造られたといわれていますが、そのうちに身分の高い人などの供養塔としてつくられるようになりました。
左がわの五輪塔の写真を見ましょう。下から直方体の地輪〔ちりん〕、球形の水〔すい〕輪、屋根のような火〔か〕輪、半円球の風〔ふう〕輪、だんご形の空〔くう〕輪と、ちがった形の石を積み重ねているので五輪塔といいます。
◆ 地輪 - 横幅に対して高さは約半分で、安定しています。
◆ 水輸 - 球形を少しおしつぶした形、四面に力強い梵字〔ぼんじ〕(古代インドの文字)で「バン」(大日如来)を刻んでいます。
◆ 火輪 - 正四角錐〔すい〕の上の方を切りとった形、背は低く屋根の降〔くだ〕り棟〔むね〕は、上の方へ逆に少しふくらんでいるように見えます。軒先の上下線は平行でゆるやかな曲線になり、左右の端〔はし〕の切口は垂直〔すいちょく〕になっています。
◆ 風・空輪 - 一石でつくり、よく張った曲線の風輪、頂上がちょっととがり大きなだんご形の空輪は、共に堂々としています。
水輪の強い張りと四面の梵字にみなぎる力、火輪や風・空輪など全体の古い様式、素朴〔そぼく〕な風格等からみて鎌倉初期の建立と推定されています。
舞田五輪塔の由来は、舞田の法樹院〔ほうじゅいん〕の寺伝によりますと、文治二年(1186)この地に金王庵〔こんのうあん〕を創建〔そうけん〕した渋谷土佐入道昌順〔しぶやとさにゅうどうしょうじゅん〕の墓塔と伝えられています。この昌順は、最近の研究の結果鎌倉時代の武将、金王丸土佐坊昌俊と称する人物であったと推定されています。
昌俊は、相模国〔さがみのくに〕(神奈川県)の出身で源頼朝〔みなもとのよりとも〕らに仕えて、その勇名をうたわれました。この五輪塔は、渋谷金王丸にゆかりのある人物が建てた塔ではないかと考えられています。