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上田原石造五輪塔

種別 :市指定 石造物
指定日:昭和61.6.5
所在地:上田原712-5
年代 :鎌倉初期

解説

上田原五輪塔は、国道143号線沿いの、倉枡〔くらます〕家の宅地の中にあります。この塔は上田・小県地方に分布している石造五輪塔の中で、古い時代の形をしている塔として有名です。また、鎌倉時代にこのあたりに住んでいたといわれる武士上田原平三の供養塔とも推定されています。

総高135cm、どっしりとして、いかにも安定感があり、古い様式で造られています。横幅に対して高さの低い地輪、雄大で重厚な水輪、背の低い火輪の軒も薄く造られています。軒先の上下の線も平行で左右の両端でわずかに反〔そ〕っています。特にすばらしいのは、水輪の中央に刻まれた梵字〔ぼんじ〕「バン」(大日如来)です。力強く大きく薬研彫〔やげんぼり〕(文字をV字形にするどく切り込むほり方)で表わしています。石造で、これ程みごとな梵字は、めったに見ることができません。

この五輪塔は、全体の形やつくり方等からみて、鎌倉時代初期のすぐれた作品と考えられています。

上田原平三については、延暦三年(1213)におきた大きな事件泉親衡〔いずみちかひら〕の乱の中にその名が出てきます。その事件は、信濃国小県郡小泉庄(上田市)に本拠をもつ源氏の一族泉親衡を中心に多くの武士が頼家の子千寿を将軍に立てようと図ったのです。ところが事前にこのことが北条方に知れ、一味の者は捕えられました。上田原平三もその中の一人でした。