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前山寺三重塔

種別 :国重文 建造物
指定日:大正11・4・13
所在地:前山300
年代 :室町時代末期

解説

塩田平の南方、東前山の集落の山麓にあるのが有名な前山寺です。今この寺にはりっぱな三重塔があり、その三重塔や本堂などをとりまく自然がすばらしいので、いつもたくさんの参詣客で賑〔にぎ〕わっています。

前山寺の創建は何時のことか分かりませんが、今から600年ばかり前に、四国の讃岐〔さぬき〕(香川県)の善通寺〔ぜんつうじ〕(弘法大師の生まれたところ)から、長秀上人という偉〔えら〕いお坊さんがやってきて、この寺を大きくしました。そのころのこの地方の一番の勢力者は、塩田城(お寺のすぐ西側の谷向こうに遺跡が残る)を守っていた村上氏(坂城)であったといいますから、もともと前山寺は塩田城の祈願寺(安全を祈る寺)という性格をもっていたものと考えられます。

この前山寺には有名な前山寺三重塔があります。この塔は特に「未完成の塔」とも「未完成の完成塔」ともいわれて名高いものです。

何故そんな名がついたのでしょうか。まず全体の写真を見てください。この写真を見ると、皆さんは不思議なことがいくつかあることに気づかれるでしょう。

その一つは、塔というものには、一層にも二層にも三層にも、縁〔えん〕と手すり(勾欄〔こうらん〕)がついているものですが、この塔には一層だけにはあるけれども二層、三層にはありません。それでは全然つけるつもりがなかったかといいますと、縁の板をのせるために、横に四角い貫〔ぬき〕が出ていますので、はじめは縁をつけるつもりだったのでしょうが、何かの理由でやめてしまったようです。その他にも各所にやりかけと思われる所がありますので、この塔は未完成の塔だといわれておりました。

しかしよく見ると、もともと塔は上るものではありませんので、二層、三層の縁や手すりは飾りなのです。そこで飾りをとってしまうと、実はこのような形となるので、これでいいのだ、これで完成しているのだという学者もありまして、「未完成の完成塔」という名もつきました。

しかし何れにしても何の不調和感もなく、各層の重なり合った美しい曲線、高くそそり立った九輪(頂上近くの輪の九つあるところ)の荘厳さ、さすがに名塔の感を深くします。

なお第一層の西南の隅柱〔すみばしら〕の上部を見ますと、妙なかたちの彫刻が左方につき出しています。この彫刻は貫〔ぬき〕という材の先のところへつけたもので、木鼻〔きばな〕といいます。この先は、次第に獅子や象や獏〔ばく〕のような動物になります。これは初めころのものですが、それでも牙〔きば〕もあり、目も彫ってあります。ただし、目の位置が高すぎて脳の部分が低くなり過ぎました。そこで、前々から「低脳〔ていのう〕の木鼻」という愛称がつけられています。

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