常楽寺境内北向観音の出現地にある石造多宝塔のすぐ右がわに、総高168cm、五層のよく整った層塔が一基建っています。これが有名な里帰りの多層塔といわれる石造塔です。
この塔がなぜ里帰りと人々が呼ぶようになったのでしょうか。それは大正十三年(1924)八月にさかのぼります。別所北向観音堂の近くの字〔あざ〕東院内〔いんない〕の山麓で、水道工事の際地下約1~2mの所から、多層塔・多宝塔・五輪塔などがバラバラで186個も発見されました。後日仏教美術の研究者天沼俊一〔あまぬましゅんいち〕博士(当時京都大学教授)がこの調査に来られて「今までこんなのは見たこともなく、殊に自分が斯界〔しかい〕の権威などといわれて研究を続けてきたが、この塔の発掘をみて余りに自分の見解の小さかったことを恥ずる云々」と当時の新聞に発表されました。
ところが、この石造塔群がいつのまにかよそへ流失して、一基もなくなってしまいました。このことを残念に思われた別所の熱心な研究家が、八方手をつくして探しましたところ、滋賀県に一基あることを見つけました。さっそく北向観音の本坊常楽寺の和尚さんと共にお願いして、ついに昭和56年(1981)約60年ぶりに故郷へ帰ることができました。
多層塔の各層の笠の反〔そ〕り、軒の厚み、相輪の形、一層から上層へ次第に減〔へ〕らした安定感など、鎌倉時代の特徴をよくそなえたりっぱな多層塔です。
大正14年発見された当時の石造塔群