上室賀原組の公民館西側約300mほど入った小高い場所にひときわ高い杉の木があります。この木の下に、長野県内最大でしかも最も古いといわれている板碑が覆屋〔おおいや〕の中に祀〔まつ〕られています。
地元の人から「五位塚」とか「五位様」とか呼ばれています。
板碑は三枚ありますが、いずれも風化による摩耗がひどく、刻まれている文字類はほとんどわかりませんが、仏の梵字〔ぼんじ〕は薬研彫〔やげんぼり〕(V字形に彫る方法)で彫ってありますので、はっきり読みとれます。
三枚とも阿弥陀如来〔あみだにょらい〕を中心に観音〔かんのん〕・勢至〔せいし〕の両菩薩〔ぼさつ〕を配置をするいわゆる阿弥陀三尊〔さんぞん〕の形式です。
昭和56年に、専門家による調査の結果「十方〔じっぽう〕(お経の一部)」と「建□□歳六月□日(建てた年月)」という文字が刻まれていることがわかりました。「建」は年号の一部で、様式からみて「建治(1275−78)年間」のものと推定されています。
板碑は、板状の石を頂部に山形をつくり、その下に二段の切込みを刻んだもので、死者の供養や仏の慈悲によって悩みを救ってもらうことを目的として、鎌倉時代の中ごろから埼玉県を中心に作られ、次第に近県に広まっていきました。
室賀地区は、鎌倉時代、上小地方から長野の善光寺へ通じる交通上大事な場所であったため、室賀を含めた小泉庄の地頭であった北条氏との関連も考えられます。