石瞳というのは、六角柱や八角柱の竿石の上に龕〔がん〕をのせたものをいいます。龕は仏をおさめる厨子〔ずし〕のことです。
ところが、宗吽寺境内にある石幢は、切妻〔きりづま〕の家型で前面と両側の三面に二体ずつのお地蔵さんを彫りあげてあります。大変珍しい石幢で、今のところ県内には例がありません。
裏面には、願い事や願い事をした人の名前と年号などが彫られていますが、やっと読める程度です。
為天長地久御円満也〔てんちょうちきゅうごえんまんのためなり〕
空阿弥陀仏敬白〔くうあみだぶつけいびゃく〕
正平〔しょうへい〕□年己丑〔つちのとうし〕七月五日
この地方は、足利〔あしかが〕氏が用いた北朝〔ほくちょう〕の年号が多いのに「正平〔しょうへい〕」という南朝〔なんちょう〕が定めた年号を用い、さらにずっと南朝の世の中が続くようにと願った「空阿弥陀佛」という南朝びいきのお坊さんがいたのではと想像されます。上田市は、かつて「常田の庄」という庄園で鎌倉末期から南北朝期は南朝系の皇室領として受け継がれてきた土地柄であったからではないかと考えられます。
年号の「正平」の次の字が欠けて読めませんが、干支〔えと〕から判断しますと四年にあたり並〔なら〕び字で「二二年」と彫られているのがわかります。これは、北朝の年号では貞和五年に相当します。
いつの頃か不明ですが、両側面を「日」と「月」の形をした窓をあけられ、お地蔵さんが三体大きく削「けず」りとられた上に、中間の台石もなくなり異形〔いぎょう〕の置台に変わってしまいましたことは惜しまれます。
側面(左側)
側面(右側)
高さ81cm・横幅44cm