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奈良尾石造大姥坐像

種別 :市指定 石造物
指定日:昭和55.4.8
所在地:富士山宮林
年代 :寛正7年

解説

大姥坐像は、お婆さんが座った姿をしていて、目と口を大きく開き、上半身をあらわにし、髪〔かみ〕はたれ、見るからに恐ろしい形相〔ぎょうそう〕をしています。奈良尾の富士嶽神社の西側丘陵に、彌勒佛塔〔みろくぶっとう〕があります。そのそばの覆屋〔おおいや〕の中に安置されています。

地元の人たちは、昔からこのお婆さんのことを「大姥〔おおば〕さま」と呼んで親しんでいます。

言い伝えでは、寛正〔かんしょう〕年間(1460 - 66)大旱魃〔かんばつ〕に苦しんだ村人たちが、丸子町の境にそびえている富士嶽〔ふじたけ〕(標高1034m)に登り雨乞〔あまご〕いをしたところ、たちどころに雨が降ってきたので、村人が大いに喜び、恩返えしにこの石造物を造ったとされています。

丸味をおびた大姥さんの背中の真ん中に、次のことが縦書きに陰刻されています。

願主〔がんしゅ〕
権大僧都真海法印和尚位〔ごんだいそうずしんかいほういんおしょうい〕
寛生〔かんしょう〕七丙戌〔ひのえいぬ〕五月 日

真海法印という位の高いお坊さんが、雨乞いの願い事がかなったので寛正七年(1466)五月に、この石造物を造ったものではないかと想像されます。

ではなぜあのような怖い顔をした姿のものを造ったのでしょうか。三途〔さんず〕の川で死者の衣服をはぎとる奪衣装〔だつえば〕というお婆さんではないかといわれていますが、周囲に十王像が見つかっていないので違うようです。

この「大姥さん」の像は、高さ38cm・肩幅23cm・ひざ張31cmあり、写実的で迫力を感じる見事なものです。特に、願主の名前などが彫られているものは県内では類例がなく、室町時代の彫刻の様式や手法を知る上で貴重な遺例といえましょう。

寛正七年は二月に「文正〔ぶんしょう〕」と年号が変りましたが、五月になってもこの情報が伝わってこなかった当時の情報伝達の状況がうかがわれます。