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二子塚古墳(新田)

種別 :市指定 史跡(古墳)
指定日:昭和43.4.25
所在地:上田2498
年代 :6世紀前半

解説


二子塚古墳全景(南西より)

上田市街地の北方、太郎山麓の扇状地面に築かれた二子塚古墳は、方墳〔ほうふん〕と円墳〔えんぷん〕のふたつの古墳が合体した形をとる「前方後円墳〔ぜんぽうこうえんふん〕」と呼ばれるものです。このように前方後円墳として、はっきり形がわかる古墳は、上田小県地方では、この古墳が唯一で大変貴重なものです。

現状の規模は、全長48m、前方部幅18m、同高さ4.0m、後円部径22m、同高さ4.0mあり、前方部を北西に向け、主軸方向を北西から東南に向けています。

この古墳は、本格的な発掘調査を行っていないため、石室内部の造り方や埋葬する時に一緒に納めた副葬品〔ふくそうひん〕などについては不明です。現在、後円部の南側に石室の天井石ではないかとみられる大石が二個露出していますが、この大きさから推定すれば、横穴式石室をもつ古墳の可能性が強いように思われます。なお、昔は墳丘の周囲から円筒埴輪〔えんとうはにわ〕と呼ばれる埴輪の破片がいくつか採集できましたが、今ではほとんど発見できなくなってしまいました。


二子塚古墳墳丘実測図
(常木晃・松尾昌彦・桜井達彦「千曲川上流域にお
ける古墳の実測調査」『信濃』36-11(1984)より)

陪塚〔ばいちょう〕(大きい古墳のまわりにある小さい古墳)とみられる小古墳が、この二子塚古墳の周りにあります。このうち北西約26mの所にあるものは墳周35.5m、高さ4.4mを計る一番大きい陪塚です。また、東北約24mに位置するものはかつて墳周30.5m、高さ2.2mあったと記録されていますが、現状はかなり小規模な古墳となっています。このほか、東南と西南方向にもそれぞれ陪塚があったといわれていますが、今ではその痕跡〔こんせき〕が残るだけとなってしまいました。また、墳丘の周りに周溝〔しゅうこう〕(まわりの堀)がめぐっていたとみられる窪みも一部に確認されていますが、その規模などについても不明です。

なお、この古墳は後円部の直径に比べて、前方部の幅が大きく広がっていることや、出土した円筒埴輪の特徴などから、古墳の造られた時期を、およそ6世紀前半ごろと推定しています。

このように、二子塚古墳は内部の状況や埋葬された副葬品等が不明で、墳丘も当初の形状がかなり損なわれていますが、上田小県地方では、墳丘の明確な前方後円墳として知られており、当地方の古代史解明に欠くことのできない古墳のひとつです。