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西光寺阿弥陀堂

種別 :県宝 建造物
指定日:昭和56年12月7日
所在地:冨士山3036
年代 :室町時代後期(16世紀前半)

解説

富士山〔ふじやま〕にある西光寺は真言宗の寺院で、寺の伝えでは空海が大日如来・阿弥陀如来の仏像を彫刻し、小堂を建てたのが始まりといわれ、下って正応四年(1291)に塩田北条氏が開基となり、足利鶏足〔けいそく〕寺(栃木県足利市)の実勝和尚が開山として西光寺を開き、古堂より大日如来を移して本尊にしたといわれています。江戸時代に入って、延宝六年(1678)には前山寺の末寺となり、享保元年(1716)には本堂が再建され、宝暦六年(1756)には山門(鐘楼門〔しょうろうもん〕)が建てられました。弘化三年(1846)には本堂・庫裡〔くり〕などが火災のため焼失しましたが、阿弥陀堂や山門などは類焼を免れました。

西光寺の境内には、南面する大規模な本堂があり、その向かって左前方に阿弥陀堂が東に面して建っています。参道は、元は東から阿弥陀堂に突きあたるようになっていたといわれています。

阿弥陀堂は、後の改造が大きかったのですが、平成元年に完成した修理工事で当初の形式に復元されました。柱間は間口、奥行ともに三間となっていますが、奥行柱間の方が大きいので、奥行の深い平面になっています。平面の形式は前方一間が外陣〔げじん〕、後方二間が内陣〔ないじん〕となっており、その境を、中央は格子戸はめころし、左右は引違〔ひきちがい〕の格子戸としています。堂の周囲には縁が回っています。内陣の奥は、来迎柱〔らいごうばしら〕の間に板壁を設け、それより前に突き出た形で簡単な形式の須弥壇〔しゅみだん〕を設けています。

軸部の形式は、自然石の礎石の上に円柱を立て、柱の上に粽〔ちまき〕とよばれる丸味をつけています。柱の床から下の部分は八角形断面となっています。柱と柱は三段の貫〔ぬき〕で繋がれています。頭貫〔かしらぬき〕の上には台輪〔だいわ〕をおき、木鼻〔きばな〕には禅宗様〔ぜんしゅうよう〕特有の絵様〔えよう〕を施しています。柱上の組物〔くみもの〕は実肘木〔さねひじき〕付の禅宗様の三斗〔みつど〕で、中備〔なかぞなえ〕は撥束〔ばちづか〕という裾〔すそ〕の広がった束を用いています。ただし、内陣正面等は、束はなくて、斗〔ます〕と実肘木のみがつけられています。この斗から下を欠いた中備は県内の室町時代の建築でしばしばみられるものです。天井は、内陣・外陣とも、奥行方向に虹梁〔こうりょう〕を架け、その間に竿縁〔さおぶち〕天井を張っています。屋根は、こけら葺と呼ばれる板葺となっています。軸部材はすべて白木で、朱塗りなどの彩色はされていませんが、木鼻の渦や束などには墨が塗られています。

この堂の間取の特徴は、内部を内陣・外陣に分けて、格子戸で仕切る形式としている点で、室町時代の密教系の小仏堂で一般的に使われた間取りとなっています。軸部の様式に禅宗様の手法を多く適用している点も特徴の一つです。

阿弥陀堂の建設年代を示す記録は見つかっていませんが、このような特徴から、西光寺阿弥陀堂は禅宗様という様式が一般の寺院建築にも広く普及した時期の建築で、16世紀前期ごろに建てられたものと考えられます。

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