仙石政俊の霊廟
芳泉寺(仙石氏の菩提寺〔ぼだいじ〕)本堂の西側境内地の一角に、上田城主仙石家の霊廟があります。
霊廟とは、墓とその霊魂〔れいこん〕を祀〔まつ〕るお堂の一体をいうもので、特に江戸時代初期から中期にかけ、大名たちは家柄〔いえがら〕や禄高〔ろくだか〕に応じた規模のものをよく菩提寺などに建てていました。
仙石家の霊廟は、一辺が約12mの瓦葺コンクリート造りの塀に四面囲〔かこ〕まれ、その中に、二代城主政俊〔まさとし〕を中心に左後方には祖父秀久〔ひでひさ〕(小諸城主)と秀久の側室や長子〔ちょうし〕(最初に生れた男子)久忠〔ひさただ〕の墓があります。
仙石秀久の霊廟
政俊の墓は、総高188cmのやや大型の五輪塔ですが、秀久のものは総高202cmの舟型石塔で、ともに面積が3.3m2(一坪)の瓦葺宝形造〔かわらぶきほうぎょうづくり〕の重厚な覆屋〔おおいや〕に収められています。
政俊と秀久の墓は、ともに損傷もなく、本陽寺の仙石家墓所にある忠俊(政俊の子供)の墓碑同様建立当時とあまり変わっていません。
塀の内側四面には、主だった家臣〔かしん〕が献〔けん〕じた名入りの石灯籠〔どうろう〕18基が整然と立ち並んでいます。
政俊は、41年間の統治〔とうち〕の中で、領内に灌漑〔かんがい〕用の溜池〔ためいけ〕や堰〔せぎ〕などの築造〔ちくぞう〕と改修を積極的に行い、農業の振興や開発等に大きな業績を残しました。
なお、仙石氏は三代にわたり84年間上田に在城しました。