岩門大日堂跡
幕末の思想家でかつ兵学者として大活躍をした松代藩士佐久間象山が文政十一年(1828)活文禅師に弟子入りし、初めて顔をあわせたのがここ岩門の大日堂です。
象山は、この時十七歳の青年の志士で、30km余り(約8里)の道のりをたびたび馬に乗り勉学のため訪れていました。
活文は、象山の並々ならぬ勉学に対する熱意を感ずるとともに、持ちあわせている俊才ぶりを見抜き、全力で教え導いたといわれています。
文政八年(1825)、神川上青木〔かみあおき〕の龍洞院から、この大日堂に移ってきた活文は、寺小屋(今の塾のようなもの)を開き、沢山〔たくさん〕の子供たちや大人たちに教えていました。当時、活文の名声は近郷近在はもとより、遠くの村々にまでおよんでいました。
象山駒つなぎの松(2代目)
教えていた中には、高井鴻山〔たかいこうざん〕や山寺常山〔やまでらじょうざん〕らがおり、この岩門大日堂は幕末大いに活躍した人材を世に送り出した場所です。
現在の大日堂の建坪〔たてつぼ〕は130m2(約40坪)、平屋〔ひらや〕建て茅葺〔かやぶき〕トタン張り一部瓦葺〔かわらぶき〕となっていますが、当時の大きさは、建物の構造からみて約70m2(21坪)ぐらいではないかと推定されます。
庭には、象山が馬を繋〔つな〕いだといわれている松の木の二代目があり、当時の面影〔おもかげ〕がしのばれます。