最初に発電した時の発電機
明治35年(1902)8月11日、当時の上田町に初めて電灯がともり、以後43年間も電気を送り続け、測り知れない恩恵を与えてくれた発電所の跡が、神科の畑山にあります。
この頃の灯〔あかり〕の主流は、石油ランプやローソクであったため、いったい電気の明るさはどのくらいだろうと当時の人々は、今か今かと待ちわびていたに違いありません。電灯がともった瞬間〔しゅんかん〕は、これまでになかった明るさに驚き、その歓声と喜びはさぞ大きかったことでしょう。
この発電所は、神川をせき止め、水路や鉄管で約800m下った場所に、大きな貯水槽を設け落差により60kwの発電機を回転させるもので、明治33年(1900)工事が始まり、翌年には送電線など一部の施設を除き完成しました。
今ものこる導水管(内径1.2m)
最初にともった電球は、5燭光〔しょくこう〕(1燭光は約0.8W)から50燭光までの6種類あり、そのうち16燭光が主で、灯数も500灯ほどでした。
水力発電であるため、水害によりえん提が壊〔こわ〕され、何回か停電することがありました。そして、昭和20年6月の大洪水により発電能力を完全に失ってからは変電所に変わりました。しかし、小規模のため採算がとれなくなり廃止〔はいし〕されました。
電気事業の変せんを知る貴重な資料といえます。