依水館は、大正7年(1918)6月、製糸結社・依田社により建てられた迎賓館施設です。戦中戦後と個人の手に渡り住宅として使用されましたが、平成14年11月に丸子町が土地と共に取得しました。
平成15年12月には、築後87年を経過したこの建物が、造形の規範となっているものとして、国の登録有形文化財に登録され、平成17年3月には公開施設として活用するため、主屋の生活部分(脱衣・風呂・勝手・洗面等)約70平方メートルを取り壊し、勝手と公衆トイレを設置しました。
平成18年1月、丸子の製糸業の史跡としての意味を兼ねて、すでに取り壊された生活部分を除く客殿と玄関部分(222.27平方メートル)が丸子町有形文化財に指定されました。
その後、平成18年3月6日の合併に伴い、上田市有形文化財となっています。依水館は、木造、平屋建、L字型の平面形をしており、かぎ型に折れた部分に入母屋造の玄関がついています。屋根は桟瓦葺、下屋は鉄板葺で、廊下廻りはガラスを多用しています。座敷は、床・棚・付書院などを備えた端正なつくりで、窓や欄間なども凝って作られています。全体に大正時代の建物の特徴をよく示しています。
依水館が建築された大正7年、依田社は、4,500釜、100,000貫の生糸出荷量を記録しており、丸子の製糸業は全盛期を迎えていました。
大正12年(1923)4月、当時最大の生糸輸出国であったアメリカの絹業協会派遣のゴールド・スミスら一行が丸子を訪れ、工場を視察した際に依水館で接待した記録が残っています。依田川の清流を眼下にし、丸子の移り変わりを見届けてきた依水館は、丸子の近代化を後世に伝える数少ない文化遺産といえましょう。