霊泉寺本堂の西側、歴代住職の墓地の中央にあり、依田窪(よだくぼ)地方の中世の五輪塔のなかでただ一つ完全な形をもつものです。総高145cmで、地輪は竹の花五輪塔にくらべて6cmほど高く、水輪はやや下(しも)ふくらみに造られており梵字(ぼんじ)や円相(えんそう)は彫刻されていません。火輪の屋根はゆるやかな反(そ)りをみせる曲線であり、風・空輪は円形で、古い様式を示しています。
これらのことから、鎌倉時代の末期〜室町時代の初期頃の様式をもつ五輪塔で、今のところ上田・小県地方では、上田原・舞田(まいた)・竹の花の五輪塔につぐ古さをもったものと考えられています。
五輪塔のある位置は、不開門(あかずのもん)、明治10年に焼失した阿弥陀堂(あみだどう)と一直線上にあるのをみても、阿弥陀如来像を造った、平朝臣繁長(たいらのあそんしげなが)にゆかりのあるものとも推定されます。