外陣
生島足島神社の歴史は古く、平安時代初期にまとめられた延喜式に「生島足島神社二座名神大」と載っています。中世未期以降には、「下之郷大明神」「諏方法性大明神」などと呼ばれ、武田氏や歴代上田藩主の保護を受けてきました。寛政十一年(1799)に社名を生島足島神社に改めました。境内には、池に囲まれた小島の上に、昭和16年に建てられた本社が正面を北側に向けて建ち、それに向かい合うように摂社諏訪社本殿が建っています。
この諏訪神が、毎年秋から春にかけて生島足島神社の籠殿〔こもりでん〕へ移り、毎夜ご飯を炊き、自ら生島足島神にご飯を差し上げる儀式があります。「お籠〔こも〕り祭」とよばれる重要な儀式です。その「お籠り祭」の神事が内殿でおこなわれます。内殿は現本殿の内部にある旧本殿の建物のことです。そこで行われる御籠り祭の神事が神秘のこととされているので、内殿の建築形態については一般に知られていませんでした。平成3年に専門的な調査が行われ、今まで知られていなかった重要なことが判明しました。
妻飾り
江戸中期に作成された生島足島神社古図をみると、西側に向拝があり、正面側に幣殿が接続している様子が示されており、当時は上屋はなく、屋根は切妻造であったことがわかります。内殿は、様式手法から16世紀前 - 中期の建設と推定されます。
内殿は、妻入りで二室の空間に分かれている点、神事のときに神官が本殿内で奉仕する点などは、大嘗祭〔だいじようさい〕・新嘗祭〔にいなめさい〕など宮中に伝わる神事に通じるところがあり、神社本殿の古い形式を伝えた建物と考えることができます。
切り取られた木鼻・組物
内殿 鳥瞰図
内殿 復原平面図