塩川・南方区の稲荷山々麓〔いなりやまさんろく〕にあり、眼下に広大な塩川条里的遺構〔じょうりてきいこう〕を見おろすことのできる小高い台地のうえに建てられています。現在の建物は、最初の堂が文政3年(1802)に焼失した後に建てられたもので、正面に柱が4本、側面に柱が5本の長方形の比較的大きな堂で、安政3年(1856)頃再建されたとの伝承が残っています。
この建物は、大正3年・昭和52年の2度にわたり大修理がなされていますが、正面の廂〔ひさし〕の部分に施された精巧な彫刻など、主要な部分はそのまま残されており、この地方としては立派なお堂です。諏訪の立川〔たてかわ〕流の宮大工、竹内八十吉により建てられたと言われています。
※薬師とは病気を直してくれる仏様のことです。