この煙突は、大正9年(1920)、丸子町の製糸業が全盛期〔ぜんせいき〕を迎えた頃、金太〔かねた〕製糸場(後のカネタ製糸場)のボイラーの煙突として建てられました。建造時は高さ36.18m、基部径3.15m、頂上部径1.35mの円筒形で、レンガの表面がすべて小口〔こぐち〕となるように積み上げられていました。
製作は諏訪の合資会社増沢商店で、使用されたレンガは、約10万個と推定されます。
昭和20年(1945)、工場が閉鎖されて以来、丸子町の製糸業のシンボルとして親しまれてきましたが、平成7年に危険防止のため、上部が取り壊され、現在は基部11.45mが残されています(右の写真は上部が取り壊される前のもの)。
現在、レンガ製で円筒形の煙突は県内ではカネタの煙突が唯一のものであり、丸子町発展の基礎となった製糸業の近代化遺産として大変貴重な遺構といえましょう。