丸子北中学校の北方約150m、水田地帯の一角に立っています。
竹の花は「館(たて)の端(はな)」の意味で、土豪(どごう)の居館地につけられる地名といわれています。この付近からは縄文時代の遺物や多数の布目瓦(寺や居館などに使用された布目跡のある古瓦)等も出土しています。
この五輪塔付近は以前八幡神社が祭られていましたが、大正の中頃現在の飯沼神社に合祀され、境内だけが残っていました。そこを開墾したところ、写真で見るような立派な五輪塔が出土しました。
総高139cmの大型の五輪塔で、地輪の上部中央には直径22cm、深さ13cmの穴がていねいに掘られています。水輪には四面に梵字(ばんじ)のあとがかすかに認められます。火輪は軒口(のきぐち)は垂直に近い切り口と思われますが、磨滅していてはっきりしません。風・空輪は団形となっています。
各輪の様式から鎌倉時代中期をくだらない特徴を持っています。上田・小県地方では県宝に指定されている中塩田舞田の「金王(こんのう)五輪塔」にもっとも近い、屈指の名塔ということができます。