塔身の刻銘は、長い年月の間に摩滅がすすみ、現在はほとんど読みとりが困難であるが、過去の記録および町誌編纂時の調査によると、「大檀那道教」、「大工○(景)清」、「貞治二年癸卯七月十四日」もしくは「貞治五年丙午七月廿四日」の刻文が見てとれる。
これらから、実相院の宝篋印塔とほぼ同じころである貞治2年(1363)もしくは貞治5年(1366)に、道教と称する人物が願主となって、大工○(景)清が製作したことがわかるが、実相院同様その造立の目的の確かな根拠は不明である。
サムネイルクリックで拡大表示できます
サムネイルクリックで360度パノラマビューを表示します