上り坂が続く傍陽穴沢集落の上、見事な傘状に成長した赤松の大樹の根元にある。
基礎部に応永10年(1403)の銘があり、実相院の塔より36年後、南北朝合一より12年後の室町初期の建立で、半田弾正の墓塔と伝えられている。
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