天台宗の名刹実相院は、神亀2年(725)僧行基法師によって開創され、その場所は、現在の寺の位置ではなく、峯山西北の「堂平」と称する所であったと伝えられている。この実相院は、いつのころか萩区字表地籍に移されたが、宝篋印塔も最初は堂平の一段低い「高寺」にあったといわれている。それを明治初年に現参道入口の付近に移し、さらに昭和初期本堂前の現位置へ安置したとされている。
貞治6年(北朝年号、1367)3月の陰刻があり、南北朝時代のものとして上田小県地方で最も完備していることから貴重である。
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