この絵馬は、画面の表裏の墨書から、享保十五年(1730)八月、海野町(現上田市海野町)の住人、小林庄右衛門、有賀藤五郎、有賀源四郎、成沢喜兵衛ら十八人が、「諸願成就」と墨書してあるように、それぞれが北向観音に願をかけ、その願がかなったお礼として奉納したものです。桐板材、家屋形で、高さ116.0cm、横170.0cmと、かなり大型の絵馬です。
絵馬の題材は、画面をみてすぐわかるように、歌舞伎〔かぶき〕十八番のうち、市川流の十八番〔おはこ〕(最も得意〔とくい〕の芸)として、当時もっとも人気のあった「助六」の名場面です。客を招く格子窓の左手の入口に「三浦や」と赤地に白く染めぬいた大のれんが描かれています。
そしてその前に立つ遊女たち、先頭の大夫〔たゆう〕が「揚巻〔あげまき〕」、手前が傾城〔けいせい〕(おつきの遊女)の「喜多川」でしょう。また大夫に、大きな日傘をさしかけながら振り向いているのが「助六」です。後ろにたたずむ二人の男たちがひやかしたのでしょうか、横目でにらみつけている表情がたいへん印象的です。
またこの絵馬に描かれた遊女や助六など、人物の描き方に、役者絵を得意とした鳥井派の浮世絵師鳥井清長の画風に通じるものがあります。したがってこの絵馬を描いた有賀常近は、鳥井派に属する絵師かと思われます。しかしどのような画歴をもつ人物であるかはっきりしません。ただ奉納者の中に同姓者がいることから、あるいはこの絵師は上田の出身なのかもしれません。
十八人の願主が「諸願成就」のお礼に、奉納した絵馬は、どれも歌舞伎の「助六」の場面で、しかも吉原の遊女を描いたものであることは、絵馬とすればたいへんめずらしいものです。想像の域を出ませんが、この十八人の願主の「諸願」とは、かねてからあこがれていた江戸見物であったのかもしれません。粋〔いき〕な十八人衆というところでしょうか。
本番の歌舞伎「助六」を見、さらに吉原へくり出すなど、江戸の名所旧跡を訪れた記念に、同郷の絵師有賀常近に依頼して、この遊女の絵馬を描いてもらい、北向観音堂に、諸願が成就したお礼として奉納したものと想像してもおかしくはありません。昭和16年7月23日、国の重要美術品(絵画)に指定されています。