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板絵劉備檀渓渡河の図(常楽寺)

種別 :市指定 絵画
指定日:昭和47・6・8
所在地:別所温泉

解説

この板絵は、画面の墨書から、文政元年(1818)戊寅〔つちのえとら〕十月に、上田原町(現上田市原町)の赤羽氏が、常楽寺の北向観音堂に奉納したことがわかります。なお板絵は桐板材を用い、縦61.0cm、横98.0cmの大きさです。


板絵の題材は中国の「三国志」によるものです。後に蜀の王になった劉備は、荊州〔けいしゅう〕の劉表を頼って新野の城にいたころ、劉表の夫人とその兄蔡帽〔さいぼう〕の姦計〔かんけい〕(わるだくみ)にかかり、危急の場におちいりました。


劉備は単身、愛馬の的臚〔てきろ〕の背にまたがり、ひそかに城の西門を抜け出し、檀渓の激流をわたりその難をまぬがれたのです。板絵は、その劉備と愛馬が一体となり、檀渓の激流に飛び込もうとする一瞬の場面を描いています。


「的臚よ、お前はわれに祟〔たた〕りするか、がんばれ」の劉備の悲痛の叫びに励まされ、的臚は一躍三丈あまりを飛び跳ね、彼岸に達することができました。たいへんな名馬でしたが、乗り手に祟〔たた〕りする馬相をもっていました。しかし天は劉備に味方しました。愛馬はみごとに主人の命にしたがったのです。


画面は右上から左下への斜め構図で、その動きのある人馬一体の描写はみごとです。また目を閉じ天運にまかせる劉備の表情、荒れ狂う激流の彼方をみつめる的臚の不安気な眼〔まな〕ざしは印象的です。さらに檀渓の激流、波頭〔なみがしら〕の表現などは、北斎の技法に共通する点が認められます。


昭和時代、ある陶芸家がこの板絵を北斎筆と判定したため、それ以来、それが定説になってしまいました。しかし全体の筆法や描画の画風から、北斎筆であるかどうかはさらに精査を必要とします。