雄大な富上の裾野に展開される巻狩りの絵馬は、信州ではこの富士嶽〔ふじたけ〕神社と鹿島神社(木曽郡大桑村須原)の二面が今日に伝えられています。裏面の墨書によりますと、文政十二年(1829)奈良尾、町屋の両村の総氏子が奉納したものであることがわかります。奉納の由緒は不明ですが、富士浅間〔せんげん〕神社の御神体を祀るこの神社の社号にちなんで選んだ画題と考えられます。絵馬は桐板を用いた家屋形で、高さ141.0cm、横240.0cmで、かなり大型です。
源頼朝は征夷大将軍になった翌年の建久四年(1193)五月、富士の裾野で大がかりな巻狩りをおこないました。この絵馬は、その情景をパノラマ的に雄大なスケールで描いたものです。画面の中空に大きく富士の雄峰がそびえ、その雄姿をとりまくように白雲がたなびき、手前にひらけたすそ野の丘陵には、幟や紅白の旗を立てた仮陣屋がここかしこにみられます。
右手前には、馬上の頼朝が得意満面の表情で大きく描かれ、その周囲には、頼朝を警護するかのように直属の武士たちの集団、左手前には、逃げる大猪〔いのしし〕に後ろ向き飛び乗って、それをしとめた仁田〔にった〕四郎忠常の武勇伝の場面が描かれています。丘陵部から中央の野原には勢子〔せこ〕たちに追い出され、逃げまどうたくさんの動物たちが描かれています。
シカ、ウサギ、キツネ、クマ、イノシシ、サルたちです。要領よくイノシシの背に乗って逃げるサル、子を背負い必死で逃げまわるサルなど対照的に描かれています。また獲物を追いまわす二匹の和犬のすばやい動きも印象的です。さらに「曽我物語」で有名な曽我兄弟の仇討ちは、この巻狩りの夜、暴風雨に乗じておこなわれたと伝えられています。
このように、富士の裾野に展開された壮大な巻狩りの絵馬は、いくつかの史実を今日に伝えています。絵師は落款〔らっかん〕に「養鱗惟光」と記されていますが、どのような画歴をもつ絵師であるのかはっきりしません。ただし、中橋狩野派二代元信の門人の中に、頭に養のつく絵師がみられることから、この絵馬は狩野派の絵師の手になるものとみてよいでしょう。