本屏風は、花鳥八幅、人物四幅、計十二幅を、六曲一雙に仕立てています。花鳥は四季折々の草花に鳥や蝶〔ちょう〕を添え、人物は四人の中国の高士を描いています。本紙の大きさは、縦135.0cm、横56.0cmです。それぞれの屏風絵六幅の組み合わせはなかなかおもしろく、両端に花鳥、その内側に人物二人を向き合わせ、中央の二幅は、ともに同じ季節の草花を描き鳥や蝶を添えています。したがって花鳥と人物は、別々に描いたものを寄せたものではなく、最初からこのような構想のもとに制作が進められたものと思われます。
画風は、花鳥、人物ともに狩野派の筆法ですが、写実を基本とした画風は力〔りき〕みがなく、画面全体温和なまとめ方をしています。線質も素直で伸びやかさが感じられます。彩色は全体に淡彩調で、現状は色があせていますが、赤系、緑系の色彩はかなり鮮やかです。人物は中国の「竹林の七賢人」を描いたものと伝えられていますが、ここに描かれている人物は、そのうちの四人の高士でその名を特定することはできません。ちなみに「竹林の七賢人」とは、三世紀頃、竹林に会して清談にふけった中国の七人の自由人、阮籍〔げんせき〕、けい康〔こう〕、山濤〔さんとう〕、王戎〔おうじゅう〕、向秀、阮咸〔げんかん〕、劉伶〔りゅうれい〕らをさし、南画ではよく題材として用いられています。
絵師の狩野永琳〔えいりん〕は、保科弥右衛門の二男として明和四年(1767)西前山(上田市)で生まれました。幼少のころから好んで絵を描いていましたが、長じて画家を志し江戸に出、中橋狩野派・狩野高信(五代永徳)の門に入って学びました。上達が早く師の信頼も厚く、文化五年(1808)、師の代理として、京都御所で龍の絵を制作中、京都で客死したと伝えられています。
現在、狩野永琳の遺〔のこ〕した作品はきわめて少なく、龍光院に伝わるこの屏風絵は、永琳の貴重な遺例といえましょう。