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木造菩薩立像(願行寺)

種別 :市指定 彫刻
指定日:平成6・11・1
所在地:横町

解説

火焔〔かえん〕(後補)をあげる蓮華座(蓮の花の台座)の上に立っている菩薩像です。本像は通称『火伏せの観音様』と呼ばれ、江戸時代から大勢の庶民に親しまれ、拝まれてきたと伝えられています。享保十五年(1730)十月八日の、横町、海野町、原町の大火の際に、火の手はこの菩薩を祀る観音堂の手前で、その勢いが鎮まったという伝承があります。


本像のつくりは、檜材を用いた寄木造で、頭部の宝髻〔ほうけい〕(頭頂の高く盛り上げた髪)は別材とし、からだ全体は、前後に寄木をして中をくり抜いています。像高は51.8cmです。顔には玉眼(水晶でつくった目)を入れ、両腕は肩先で矧〔は〕ぎ、臂〔ひじ〕を伸ばす右腕は、臂と手首で矧いでいますが、臂を曲げる左腕はすべて江戸時代につくり直されています。このほか耳たぶ、右手の第三指半ばから先、後頭部なども補修されています。また現状、欠損している部分は、宝髻の先、右手の第一指、着衣背面の裾の一部、天衣の遊離部、足ほぞの下端などです。


菩薩の姿は、頭上に結い上げた宝髻は低く、顔立ちは頬張りが豊かでやさしい穏やかな表情をみせています。着衣は、菩薩通例の両肩にかかる天衣〔てんね〕、左肩から斜めにかかる条帛〔じょうはく〕、折り返しの裳〔も〕です。左手は胸元で臂〔ひじ〕を曲げ何かを持つ姿ですが、持物は失われています。右手は体側にそって垂れ下げ、手の平を正面に向け五指を軽く伸ばしています。そして腰を左方に強く捻〔ねじ〕り、右足を一歩前へ踏み出す体勢で蓮華座に立っています。


顔の豊かな頬張り、穏やかな表情からは、平安時代後半の藤原期の特色がみとれますが、衣文の襞〔ひだ〕(着衣にできる筋目)は写実的で、その簡潔で深い刻みからは鎌倉彫刻の力強さを感じます。したがって制作年代は、玉眼の使用、衣文の襞〔ひだ〕の力強さから、鎌倉時代初期と考えるのが妥当でしょう。


この像は、その洗練された彫技から、当代のすぐれた仏師の手になるものと思われ、あるいは都からもたらされたものかとも考えられます。なおこのような姿態を示す菩薩像は、独尊像としてではなく、脇侍像としてつくられた可能性が大きく、『火伏せの観音様』と江戸時代から通称されていたことから、このころ庶民に信仰され、数多く造立された阿弥陀如来の脇侍である観音菩薩かと推定されます。