本像は第一・二指を念じる来迎印〔らいごういん〕を結び、腰をわずかに右に捻って、左足を前に踏み出して立つ、像高約三尺の阿弥陀如来立像です。肉髻〔にっけい〕はやや低く、髪際が大きく湾曲しています。眉は髪際のカーブと呼応するように大きく弧を描き、豊かに張った頬、引き締まった口元、目尻が吊り上った顔貌は、現実感のあるやや厳しい表情です。
腹部から両脚部には狭い間隔で緊張感のある衣文〔えもん〕が施されていますが、右胸の覆肩衣〔ふげんえ〕のたるみや左肩に懸かる衲衣〔のうえ〕には柔らかな衣文があらわされ、また衣端は波打つように翻るなど、変化をつけた華やかな衣文表現をみせています。
頭部と体幹部はそれぞれヒノキ材を用いた前後二材製の寄木造りで、両肩以下の腕や衣は細かいパーツに分けて作られています。また脚部では裙〔くん〕以下を衲衣の下端に挿し込むように矧〔は〕ぎ、像底では両足を割り放していることから、肉身部や衣をパーツごとに分けて作ろうとする制作意図がうかがえます。加えて、本来は見えない像底にまで裙の襞〔ひだ〕をあらわしていることや、足裏を含め全面に漆箔を施していること、螺髪〔らほつ〕も一粒ずつ別材で作り植え付けていることなど、本像が極めて高い技術を持った仏師によって、入念に制作されたものであるとわかります。
以上のような作風、構造は鎌倉時代に類例が確認されており、本像も鎌倉時代13世紀に制作されたものと考えられます。
本像背面に「信州小県郡/上田常福寺/客殿仏」、光背裏面に「奉造立御光南無阿弥陀仏信心施主原浄貞/干時慶長十七(壬子)年三月十三日常福寺第六代安誉上人」、台座框部後面に「奉造立台座/信心旦那原/真誉浄貞/干時慶長十七(壬子)/年三月十三日/養蓮社/安誉上人」という朱書銘があり、本像が芳泉寺の前身寺院常福寺の什物であったこと、さらに光背と台座は慶長17年(1612)に真田氏重臣原浄貞(原半兵衛正貞)が施主となり、常福寺第六世安誉上人のもとで造立されたものとわかります。光背は二重円相光で、周縁部に雲気文をあらわし、その左右の下方には迦陵頻伽〔かりょうびんが〕を各一体配します。台座の蓮華は踏割型で、十二重蓮華座です。光背、台座は後補ではありますが、華麗な装飾が施され、できばえの優れた本像をより一層引き立てるものとなっています。