鬼板は、通例では「鬼面」と呼ばれ、社殿の棟に魔除けの面として取りつけられます。おそらくこの鬼板も、社殿の棟に取りつけられていた鬼面と考えてよいでしょう。
本社の棟札の写しによりますと、天正八年(1580)三月再建とあり、この鬼板は再建前の社殿の棟に取りつけられていたものと伝えられています。しかし銘記やその記録が伝存しないためくわしくはわかりません。ただしこの二面の鬼板の眉間〔みけん〕に釘跡が確認されることから、かつては「鬼面」として社殿の棟に取りつけられていたことは事実のようです。
鬼板は、桂材を用いた一木造で、阿形は面長24.7cm、面幅17.0cm、面厚7.8cm。吽形は面長24.3cm、面幅16.6cm、面厚8.0cmで、ほぼ同じ大きさにつくられているところから、二面は一対でつくられていることがわかります。
ただし鬼板の角〔つの〕は別材で彫成し、面部のほぞ穴〔あな〕に差し込む手法をとっていますが、すでに両面ともその角は失われています。
面の刻み方は、二面とも曲線を主体とし、突出部を強調した肉づけに特色がみられます。角を取りまく髪の毛や眉毛をマバラ彫り(細部を刻まず、大まかにあらわす手法)とし、また深い目の窪みの中に刻まれた大きな眼球、強調された頬の張り、そしてあぐらをかいたような大きな獅子鼻、牙と歯をのぞかせる口もとなど、両面とも独特の雰囲気〔ふんいき〕をもっています。
またその表情は、忿怒相(怒りを示す表情)でありながらその怒りがおさえられ、どことなく世話好きのおじいさんのような人面の雰囲気を感じさせます。彩色は、二面とも白土の下地に、ベンガラ彩(赤色の画料)、群青彩(青い色どり)などがほどこされていますが、ほとんど剥落し素地(生地)に近い状態です。
鬼板は素人〔しろうと〕づくりらしく、その彫技は手なれたものとはいえませんが、専門の彫り師が刻んだものとは異なり、全体に素朴さがにじみ出ており、本気で刻んだ作者の温〔ぬく〕もりが感じられます。制作年代は、その表現様式から室町時代後期と推定されます。