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木造百万塔(常楽寺)

種別 :市指定 工芸品
指定日:昭和48・4・9
所在地:別所温泉

解説

百万塔は、天平宝字〔てんぴょうほうじ〕八年(764)、藤原仲麻呂の乱がおさまった後、称徳〔しゅうとく〕女帝の発願〔ほつがん〕により、戦死者や刑死者の霊を鎮めるためにつくられた木造で高さ21cmばかりの小塔です。宝亀〔ほうき〕元年(770)四月に完成し、塔の中に世界最古の印刷物として著名な、根本、自心、相輪、六度の陀羅尼経〔だらにきょう〕を納めました。この陀羅尼経の根本経典である『無垢浄光大陀羅尼経』には、「小塔をつくり供養すれば、人間のみにくい争いがなくなりこの世に平和がよみがえる」と記されています。


この百万塔は、当時は「三重小塔」と呼ばれていたようです。完成後は、法隆寺、東大寺、西大寺、元興寺、興福寺、薬師寺、大安寺、弘福寺、四天王寺、崇福寺の十大寺に、十万基ずつ安置されました。各寺院では、新たに小塔堂を建立し供養を行いましたが、長い年月を経、戦乱などにより塔の多くは失われてしまいました。現在、法隆寺には、約四万六千基の小塔が伝存し、その他にも少数現存しています。


塔は檜材を用い、横軸の轆轤〔ろくろ〕で、露盤〔ろばん〕や伏鉢〔ふくばち〕、受花〔うけばな〕などを刻む相輪部(塔の最上部につける装飾)と、塔身部を別々につくって組み合わせ、全面に白土で化粧しています。なお法隆寺に伝わる大部分の塔には、基壇の底部の白土の化粧の下に、制作年や工人の名を記した墨書があります。


昭和五十六年(1981)から始まった『法隆寺昭和資財帳』の調査で、この三重小塔の制作は、神護景雲元年(767)に始まり二年間で完成したこと、工人は二百人をこす人数であったことなどがわかりました。


常楽寺に伝わる百万塔の一基は、法隆寺が明治四十一年(1908)、同寺の維持基金をつくるため、有償で譲与したものを譲り受けたものです。高さ21.5cm、基底の径は10.5cmと、法隆寺に伝わるものと同じ大きさで、白土による化粧の痕跡が確認されます。また納められていた陀羅尼経は現在額装されています。