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観音寺鰐口

種別 :市指定 工芸品
指定日:昭和43・4・25
所在地:上田原

解説

鰐口は青銅または鉄などで鋳造され、寺院の本堂や神社の社殿正面の軒下に懸〔か〕け、太い麻緒〔あさお〕、布縄を当てて音をだす金属の鳴器です。側面の口部のつくりが鰐に似ているところから鰐口という名称が生まれした。


本寺の鰐口は、同萢〔どうはん〕片面交互式(ひとつの型で両面を鋳造して合わせる手法)という方法で鋳造された銅製のものです。鼓面〔こめん〕(撞座〔つきざ〕のある面)は両面とも、外側から外区(銘帯区)・中区・内区(撞座区)の三区に分かれている通形の鰐口で、胴部の径は18.4cm、縁の厚さは5.0cm、中心の厚さは7.8cmです。この縁と中心の厚さでわかるように鼓面がよく張り、全体に形が整っています。吊り具をつける耳(吊り手のこと)は半月形で、目(口の両側についている丸い筒状のもの)の高さは比較的低く、口の開きもせまく、その唇(口部の先端)も薄く仕上げられています。


鼓面は、外区の外縁に一条の圏線〔けんせん〕をもうけ、中区は両側に二条の子持線をもつ蒲鉾〔かまぼこ〕形の突帯線、撞座は二条の圏線によって区切られています。通形では撞座の中央部に蓮華文を刻むわけですが、現状ではその形がはっきりしません。おそらくつくられた当初はあったものと推定されますが、かなり撞〔つ〕いたために磨滅してしまったのでしょう。


銘帯区にはつぎのような銘記が刻まれています。最上部に「浅井寺」、左右の下部に「永享九丁巳七 十八」「施入彦五郎」、最下部に「聖英祐敬白」とあります。このことから、この鰐口は永享九年(1437)に、聖英祐が浅井寺に奉納したことがわかります。奉納されたのは永享九年ですから、室町時代の初期にあたります。上小地方では大法寺(青木村)の康暦二年(1380)の年紀銘が刻まれている鰐口がもっとも古く、観音寺の鰐口はそれにつぐものです。なお銘記の中に刻まれている「浅井寺」は、青木村当郷に浅井寺跡と伝承する地籍がありますので、おそらく同寺が廃寺になった際に、本寺に移されたものと推定されます。