鰐口は、寺院の本堂や神社の拝殿の正面の軒下に懸けられ、参拝に詣でた人々が打ち鳴らす金属の鳴器です。銅または鉄を鋳造してつくりますが、その方法には二通りあります。その一つは、同萢片面交互式といって、一つの型で両面を鋳造して合わせて仕上げる方法、もう一つは二萢合わせ型といって、両面を二つの型で鋳造し、それを合わせて仕上げる方法です。実際には同萢片面交互式が多く用いられています。
中禅寺の鰐口も同萢片面交互式です。銅製で、胴部の径が41.5cm、縁厚が7.7cm、重量が16.0kgです。この胴部の径をみてもわかるようにかなり大型の鰐口です。それに比して縁厚がわずかなことから、この鰐口は薄手であり、また鼓面の張りが少ないことがわかります。
鼓面の外縁は細い二重の圏線、外区、中区は両側に子持線を持つ蒲鉾形の突帯線で区切られています。なお内区の撞座は全体の広さに比し狭くもうけられています。通例ではここに蓮華文を刻みますが、かなり撞いたため磨滅してしまったものか、確認することができません。耳(吊り手)は半月形、目は全体の大きさに比して小さめにつくられ、その出は低く、また唇の出もわずかです。
鼓面の銘帯区の左右には、つぎのような陰刻銘が刻まれています。
(右側)「信州小県郡塩田庄前山郷中禅寺常住也」
(左側)「干時 享徳二年癸酉十一月三日」
寄進者は不詳ですが、「中禅寺常住也」という記載から、当寺が備品としてこの鰐口をつくったものと考えられます。また享徳二年(1453)の年紀銘から、室町時代中期につくられたことがわかります
上小地方には、康暦二年(1380)銘の大法寺(青木村)の鰐口をはじめとして、永享九年(1437)銘の観音寺の鰐口、そして中禅寺の鰐口など、室町時代前半にさかのぼる優品が三点伝存しています。