御正体は別に懸仏〔かけぼとけ〕とも呼ばれています。わが国に仏教が伝わってから、日本の古来の神と、伝来の仏教の仏がしだいに融合し、神と仏が習〔かさ〕ね合う、神仏習合〔しんぶつしゅうごう〕が行われるようになりました。そして平安時代後期には、神と仏は同体であるとする本地垂述説〔ほんじすいじゃくせつ〕が生まれました。神の本地は仏であるという思想にもとづき、それぞれの神社の神々に、本地の仏が定められるようになりました。それを形にあらわしたものが御正体です。
当初の御正体は、青銅の鏡の裏に本地仏を線刻し、それを社殿に懸〔か〕けて祀るというものでした。その後、御正体のつくり方は変化していったわけですが、鎌倉時代以降は、木製の円い鏡板などに、銅板から打ち出したり、鋳造した仏像を取りつけるようになりました。室町時代には、鏡板と仏像を共鋳した銅製の御正体もつくられるようになりました。なお御正体が隆盛になるのは、歴史的にみて鎌倉時代から室町時代にかけてです。
高仙寺の御正体は銅製で、鏡板と仏像を共鋳しています。外径19.3cm、外縁厚0.75cm、胎厚0.5cmで、中央に左臂を曲げ、胸元で未敷蓮華〔みふれんげ〕(蓮の花の蕾〔つぼみ〕)をもち、蓮華座(蓮の花の台座)に結跏趺座〔けっかふざ〕(座禅を組むようなすわり方)する聖観音像です。その両脇に蓮華の蕾〔つぼみ〕をさした水瓶を薄肉彫りで彫りだしています。そして周囲は二重の突帯線をもうけ、その間に上下左右に三個ずつの珠文を配しています。また鏡板上部の左右に鬼面形の人面を付した吊環〔つりわ〕をつけています。
なお聖観音の左右と蓮華座の下部につぎのような銘記が陰刻されています。
「四阿山〔あずまやさん〕御正体」「永享十年八月日」「猿楽彦一 吉光 サルカク」
高仙寺への伝来は不詳です。しかし山家〔やまが〕神社(真田町)にある、旧四阿山白山権現に奉納された永享十二年の御正体に、「四阿山御正体」と記されているので、この御正体も旧白山権現に奉納された一面ではないかと考えられます。「猿楽彦一」及びそれ以下に陰刻される人名は寄進者と推定されます。
本地仏と鏡板を共鋳する銅製のこの御正体は、装飾性に富んだ独創的なものとして注目されます。