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銅製雲板(陽泰寺)

種別 :市指定 工芸品
指定日:昭和43・4・25
所在地:上田市立博物館

解説

雲板は主に禅宗の寺院で用いられる金属の鳴器です。銅または鉄で鋳造され、形が雲形につくられるところから雲板という名称が生まれました。禅僧が日課にしたがって過ごす、睡眠・座禅・齋食などの合図に使用されるもので、火版、長版、後には打版などとも呼ばれました。歴史的にみますと、太宰府天満宮(福岡県)の雲板が文治3年(1187)の銘をもち、わが国ではもっとも古いものとされています。全体的には、禅宗がわが国へ伝来されて以来、鎌倉時代後期、南北朝時代にかけて雲板の使用が隆盛したようです。


雲板の形は、古いものほど円形に近いとされていますが、陽泰寺に収蔵されているものは、鶏頭〔けいとう〕片面式の雲板で、頭部がかなり突出し、左右の翼部のえぐりが深いところから、室町時代の特色を示しているといってよいでしょう。頭部は三弧形〔さんこけい〕につくられ、その頸部は深く円板に入りこみ、腰部の外縁には小さなくびれが認められます。


また外縁は蒲鉾〔かまぼこ〕形の突帯線で囲まれています。吊手孔は頭部の中心軸の上方にあり、磨耗〔まもう〕(すりへること)が進み卵形となっています。また撞座は下半身の裾部〔すそぶ〕近くにあり、蓮華文を陽鋳していますが、かなり磨耗し、それとわかる程度です。法量は身高48.0cm、身幅41.5cm、縁厚1.2cm、重量7.5kgです。


吊手孔と撞座の間につぎのような銘が、縦書に陰刻されています。

(原銘)
「奉納 本国下総州相馬郡法雲山吉祥禅寺打板
 應永七 三月廿日 旦那沙弥祐壽 住持比丘周建誌之」

(追銘)
「宝泉寺常住 永禄第六 八月吉日 豆州中島郷
 施主 檀那高橋妙経 敬白大工斎藤」


この銘記の原銘と追銘をみますと、応永7年(1400)、沙弥祐寿が、下総相馬郡法雲山吉祥寺に寄進した打板を、永禄6年(1563)8月、高橋妙経が伊豆の宝泉寺に奉納したことになっています。この雲板がどのような事情で陽泰寺に移ったかは不詳です。