生島足島神社は上田小県地方では、最古といわれる神社で『延喜式〔えんぎしき〕』(約千年前に朝廷で編さんされた書物)にも、信濃では諏訪大社に次ぐ大社と記されています。ですから昔からこの地方の豪族は、いろいろのものを、祈りをこめて寄進しました。その中に六個の湯釜がありますが、みな神事に使われたものです。
その中で最も古いものは「下郷大明神御湯釜天正十五秊(年)(1587)丁亥〔ひのとい〕九月吉日」と、字のところを高くなるように(鋳出した字は裏返し)造った鋳物〔いもの〕の釜です。直径43.2cm 高さ23.2cmです。
次に明和四年(1767)の釜は、直径50cm 高さ28.1cmです。何れも縁〔ふち〕のところを張り出し、釣り金具をつけてあります。このような湯釜は他に残存する例が少なく、古式湯釜として貴重なものです。
また、文政十三年(1830) の釜が二つ、ほかに、年代不明の塩田組小嶋村から寄進の釜と文字が何も書いてない釜の二つがあります。
これらは、いわゆる「湯立神楽〔ゆだてかぐら〕」に使用された釜の変わり方を知ることが出来る点たいへん重要なものと考えられています。